こんにちは。
最近、おくのほそ道の漫画を図書館で発見し、読んでみたところ、有名な俳句の背景に触れることができて面白かったです。
中学受験においては出題されることが少ない俳句ですが、奥の細道の旅程には地理や歴史で重要な場所もあることから関連付けて覚えていければ楽しいのではないかと思います。
おくのほそ道とは
元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉が門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った紀行文です。全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰った。西行500回忌の記念すべき年に、東北各地に点在する歌枕や古跡を訪ねることを最大の目的とした旅の中での出来事や俳句が収載されています。
「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらえて老いを迎ふる者は日々旅にして旅を栖(すみか)とす」という序文も有名です。
江戸深川にあった芭蕉の草庵である採荼庵(さいとあん)を出発し(この時「行く春や鳥啼魚の目は泪」という俳句を詠んでいる)、船に乗って千住に渡り、日光街道の草加、日光へ道を取って下野国の城下町黒羽へ行き、ここからさらに北へ向かい白河関を越えて奥州に入った。日本三景の一つに数えられる松島では、その美しい風景に感動するあまり句を詠めず、曾良が詠んだ句「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」が収載されている。平泉は、おくのほそ道の折り返し地点にあたり、藤原三代の栄華をしのび、「夏草や兵どもが夢のあと」の句を詠んでいる。
ここから奥羽山脈を越えて出羽国に入って尾花沢に至る。この町の紅花を扱う豪商で、芭蕉とは旧知の俳人でもある鈴木清風を訪ねることもこの旅の目的の一つで、尾花沢に11日間滞在した。尾花沢の人々の強い勧めにより、予定にはなかった山寺(立石寺)に立寄り、「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の聲(こえ)」の句を残した。
日本三大急流のひとつに数えられる最上川で「五月雨をあつめて早し最上川」の句を残し、新潟、富山、金沢、福井と北陸道を経て、美濃路(美濃国の脇街道)の大垣まで至る。
有名な俳句の解説
行く春や鳥啼魚の目は泪
「春が行こうとしています。春との別れを惜しみ、人との別れを悲しんで、鳥も魚もみんな涙を流しています。」
芭蕉の草庵である採荼庵(さいとあん)を出発し、船に乗り千住について、たくさんの見送りの人と別れる際に詠んだ句です。
当時の平均寿命が50歳に満たない時代に松尾芭蕉は46歳で旅だったのですから、今生の別れを覚悟しての旅立ちという覚悟であったことがこの歌から伺い知れます。
夏草や兵どもが夢のあと
「今や夏草が生い茂るばかりだが、ここはかつては武士達が栄誉を求めて奮戦した跡地である。昔のことはひと時の夢となってしまったなあ。」
松尾芭蕉は源の義経が好きだったようで、兄の源頼朝に追われた義経が、藤原秀衡のもとに身を寄せたが、秀衡の死後、当主の泰衡に攻められてしまい、自害させられます。
義経の最後となった場所で読まれた句です。
かつての藤原家の栄華の痕跡はあとかたもなく、ただ夏草が青々と生い茂る風景を目の当たりにして、「全ては短い夢のようだ」と人の世の儚さを詠んでいます。
閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉の聲(こえ)
「なんて静かなのだろう。石にしみ入るように蝉が鳴いている。」
立石寺のあるのは、岩が重なり、樹齢を重ねた松や柏が生い茂り、石は苔むしている山の上。
芭蕉が登っていった時には、僧院の扉も閉まり、静まりかえっていました。
そうした中で、山寺に参拝し、辺りを見渡すと、ひっそりとしていて物寂しい様子をしている素晴らしい風景を目にして、心が澄みきってくるのを感じ詠んだ句のようです。
五月雨をあつめて早し最上川
「降り続く五月雨(梅雨の雨)を一つに集めたように、何とまあ最上川の流れの早くすさまじいことよ。」
五月雨は現在の梅雨に相当します。松尾芭蕉は大量に降り続いた雨によって、増水した日本三大急流(他は富士川・球磨川)に数えられている最上川の川下りを体験したことで、最上川の流れの激しさを実感し、俳句でもその激流を表現しています。
おくのほそ道に関連する東北地方の地理・歴史のポイント
おくのほそ道では、東北地方を中心に旅をしています。
その旅と関係する中学受験地理のポイントをご紹介します。
日本三大急流
2020年7月に最上川(山形県)と球磨川(熊本県)が同時に氾濫したことから、日本三大急流に関する問題が出題されやすくなっています。
日本三大急流とは、最上川(山形県)、富士川(静岡県/山梨県/長野県)、球磨川(熊本県)です。
穀倉地帯
東北地方は北陸地方と並ぶ穀倉地帯で、米の生産量は全国およその4分の1を占めます。最上川の流域に広がる庄内平野や秋田平野、仙台平野が主な米どころとなっています。
栽培されている品種ははえぬき、あきたこまち、ひとめぼれなどです。
平泉
平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残ります。黄金の国ジパングの発祥ともされ、中尊寺金色堂をはじめとするいくつかの歴史的建築物などが平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-として2011年に世界文化遺産に登録されました。
今日も、一歩前へ。
では、また。
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