お彼岸と秋分の日との関係
こんにちは。
最近はすっかり秋めいた気候になってきて過ごしやすくなってきましたね。
本日(2021年9月23日)は秋分の日で、国民の祝日ということで、毎年お彼岸のお墓参りに行かれている方も多いのではないでしょうか。
我が家は、緊急事態宣言中ということで、今年の墓参りは諦めました。
お彼岸とは、春分の日と秋分の日のとその前後3日間のことを指します。
お彼岸は年に2回あり、春分の日にあるお彼岸を「春彼岸」、秋分の日にあるお彼岸を「秋彼岸」と言います。
そもそもお彼岸の考え方は仏教に基づくものです。
「彼岸」とは先祖がいる「極楽」を指します。
反対に「此岸(しがん)」とは私たちが生きている世界のことです。
仏教では、彼岸は西に位置し、此岸は東に位置すると考えられています。春分の日と秋分の日は太陽が真東から昇り真西に沈むため、彼岸と此岸が最も通じやすい日と考えられました。
これらの理由から、春分の日と秋分の日に先祖を供養するようになりました。
春分の日と秋分の日はお彼岸の中日にあたるため「彼岸の中日」と呼びます。
秋分の日とは
「秋分の日」は、1948年(昭和23年)に公布・施行された国民の祝日に関する法律(「祝日法」、昭和23年法律第178号)によって制定されました。同法第2条では「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」ことを趣旨としています。
お彼岸の歴史
延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われたことが始まりです。最初の彼岸会は『日本後紀』によると延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」と怨念を鎮めるためでした。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になりました。
お彼岸の風習
秋分の日には、家族でお墓参りや寺で開かれる彼岸会(ひがんえ)に行く方もいると思います。秋分の日は、お墓周りや仏壇周りの掃除をする方も多いと思います。
秋分の日のお供え物といえば「おはぎ」が定番です。
実は秋分の日にお供えするおはぎと、春分の日にお供えするぼたもちは同じもので、名前だけが異なることをご存じでしょうか。
おはぎの名前の由来は秋の七草と呼ばれる「萩」の花が小豆の粒と似ていることから「萩餅」、それから丁寧な「お萩餅」、そして「おはぎ」という呼び方になったと言われています。
ぼたもちは春に咲く牡丹の花が小豆の粒に似ていることにちなんで名付けられました。
日本では昔から、小豆には邪気を払う力があると信じられていました。お彼岸におはぎやぼたもちを供えることにより、祖先への供養を行います。
暑さ寒さも彼岸まで
この有名なことわざですが、意味は「気候が暑いのは秋の彼岸の頃まで」、寒いのは「春の彼岸の頃まで」でそれを過ぎれば過ごしやすくなるものだという意味になります。
我が家の坊にも、秋分の日、お彼岸、気候を合わせて話をしたところ、理解が深まったのかよくこのことわざを使うようになりました。
みなさんもおはぎなどを食べてお彼岸を感じてみてはいかがでしょうか。
では、また。
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